小学校低学年でもいじめが存在する

いじめ

1.低学年だからこそいじめが強烈になってしまう

小学校低学年でもいじめが存在します。
というよりは小学校低学年だからこそ強烈ないじめになるという事を考えてもいいかもしれません。

子供というのは極めて残酷なところがありますから、仲間外れやいじめをする事に躊躇がないという事があるのです。
子供の場合は悪いという事を考えていない場合もあるので注意が必要だという事も言えるのかもしれません。

大人と子供の違いは単に肉体的なところだけの事では無く、精神的な考え方などの違いも当然あるわけで、小学校低学年ぐらいの時は、この正邪の判断をし始めるころという事も言えるのかもしれません。

ですから、正邪の判断をすることなく、これは嫌いということになれば徹底的にしてしまう事になるので、あっという間にいじめが出来てしまうわけです。
他人と違うというだけでいとも簡単に仲間外れにされるという事は当然の事ですし、何かおかしな事をすれば、それが問題だという様に考えられてしまう事も少なくはありません。

その代わりに良いという事になれば誰とでも仲良くもなれるという極めて柔軟かつ難解なところがあるのが、この頃という事が言えるのかもしれません。

2.教員の仕事を改めて考える

そもそも論として教育という物が、このいじめの正邪を判断できるようするというような側面もあって、この判断をすることが出来る材料を提供していく事が教員の仕事ということもあるわけです。

小学校は保育園のような子供の預かり施設ではなく、教育をするというところでもありますから、その教育の中には正邪の判断を正しく行う事が出来る用にするという事も大切な事になります。

小学校低学年の事は極めて何事にも興味を持つ頃という事がありますから、どんなものでも、どんな人でも興味深く観察をしていて、自分の為になる物かどうかを判断していると考えて良いかも知れません。
そして自分の為になると考えられればすぐにでも取り入れるという事をしますし、要らないという判断になれば遠ざけるという事をしてしまうのです。

これが教育を受けた場合には、遠ざけるのではなく、礼節をもって対するという事をすることが出来るようになるのですが、教育を受けていない場合は常に要るのか要らないのかという二極の選択肢で判断するしか無いわけです。

3.子供は極めて本能的に動くことが多い

そして、その対象が人であって、要らないという判断が下された時には、それがいじめとなって様々な形で出てくる事になるの野で、これは人が常に抱えている問題だという他ありません。

要らないものを近くに持ってくるというような事があれば、それは生存に関わることになりますから、そのような事をする事は無いでしょう。
大人の場合は社交性を身につける事で、要らないものもある程度は必要だという事を認識することが出来るのですが、それが出来るのはある程度の教養を身につけた人という事になります。

つまり、全てのモノが大切なモノだと理解しなければ、この不要なモノを遠ざけるという事はなかなか出来る事では無いという事です。

子供は極めて本能的に動くことが多いですから、これを無くすという事は出来ません。
大人の場合は教育を受けていますから、本能を成業することの意味を理解している事がありますが、子供はそのような教育を受けている最中ですから当然、そのような判断が出来ないところにあります。

ですから、こうした事は必ずある物だと考える必要があります。
理想的には、そのような事がない事が理想ではありますが、それは不可能なことなので、子供の場合はこうしたところで、それは悪い事だという様に指摘して教える事が必要になるといって良いでしょう。

悪い事をしたから駄目な子だというのではなく、その行為は駄目だと理解させるという事を考える必要があります。